愚痴 パート2 新卒のときを思い出した

新卒で勤めていた会社は、病気になり退職、というか、もはや逃げるように日本を去った。
原因は複合的で、もともとの思考や性格、それらを加速させた1つに会社勤めになってからの私の世間知らずさと他者とのギャップ。

 

会社員として、学びが多く、指摘されたことは、もっともなことが多かった。

が、わたしにとってそれらは優先事項ではなかった。なにせ、みんなと同じように、みんながやっていないことはやらないように、ができない。普通にしているだけで、他の人からすると、挙動不審や変人にみえている。
もちろん、役立つこともあり、今となってはプラスになっている。少し程度の馴染み方は身に着けた。

 

「下の者は下らしく振舞う」という演技は、わたしにはできない。

上や下の感覚がわからない。お世話になっている関係など、いろんな関係性があって、その関係を丁寧に取り扱いたい。最後に自分の面倒をみられるのは、自分しかいない。はしごをはずす人はたくさんいる。


また、ハイブリット労働の片側で得た知見が、いわゆる”素直さ”をなくさせているのは、事実。
おそらく誰もがそうだろうが、年齢とともに経験をつむと、驚きや感動が減ってくるのではなかろうか。

これを書いていて今気づいたが、”謙虚さ”がないのだろう。申し訳ない。


そういった要素を求められずに生きてくると、違う世界に馴染むのは、こちらも大変だし、あちらにも大変気苦労をかけてしまっている。

 

この世はパラレルワールドの集合体。交わることのない世界がいくつもある。会社や学校という単位も1つの世界、昼と夜もそれぞれの世界。
それは交わることが少なく、人の行き来が少ない(まったくないとは言えない)。
カルチャーショックって、そういう類のもの?

 

 

そうそう、会社といえば、今新卒の方々がリクルートスーツなるものを着ているのが目立つ時期。
入社すればリクルートスーツは着ないのかな?あの真っ黒のスーツは、多くの先輩が紺やグレーを着ているなかで、すごく目立つというか、違和感を覚えさせる。
とりわけかっこいいスーツでもなく、いい素材でもない、さらにずっと着られるものでもないので、わたしはお金を出したくない。
と思って、着なかった、というか持っていない。
そういうところが、わたしを悪目立ちさせている。

 

とにもかくにも、いろんな世界を知るのはいいことだと思う。
狭い世界に固執することはない。
そう思うようになったのは、以前の会社で病気になって、昼間の街を歩くようになったことがきっかけ。

それまではいわゆる会社員になるしかないと思っていて、それ以外の世界はないと思っていたので、太陽の下を歩く人が新鮮だった。

 

ここで注意、隣の芝生は青く見える、この言葉を忘れてはならない。

 

ここでは当たり前のことが、あちらでは当たり前ではない。
みんなが違って、みんなが平等ではない。
世界旅行や、コミュニティに参加したり、大学でのディスカッションって他者を知る機会だったのだ
と、今更ながらやっときゃよかったと思うのである。